代表コラム

日計に足らずして歳計に余りあり

2017年03月16日

私は父の影響もあってか若いころから株式投資には何の抵抗もありませんでした。
日曜日になると今でいう投資コンサルタントのような人が居宅に訪問してきて父と世間話をしていくわけです。 広い家でもありません。中に居れば自ずと話は筒抜けになりましたから、会話がごく自然に入りこんできました。 今のようにプロが専門的な用語を駆使して、鋭利な会話をしていくわけではありませんし、私の家にこられていた方は今でいう嘱託的な立場のかたで、態度も会話もソフトな人でした。何回も聴いていくうちに目的にアプローチするまでの話題の取り込み方や関連付け、ひいては連想方法が身についていたような気がします。
それから歳月を経て社会人となり、金融経済に携わる仕事についたときには必須の知識とスキルとして装備するまでになっていました。

理論だけではダメで経験と勘を積み重ねて感性面もなんとか体の一部にすることができました。
それでも昭和40年代、50年代頃は職場で個人的に話題にする環境がととのっておらず、後ろめたさがありました。
積極的に相場に関連するような話題を持ち込むと、危なっかしいリスキーな人物評価を加えられ、信頼関係にも多少マイナスが加えられるため多分に話題としてとりあげるのはタブーでした。
お金を扱う金融機関は当時は市場に精通しマーケット感覚を滋養するよりも、金銭を愚鈍に正確にあつかえる人物が期待させる人物像でした。
しかしバブルのころになると様相は一変して話題にのれないほうが白い目でみられるくらいにエスカレートしていました。まだファンドと称する巨大マネーが跋扈する前ののどかな時代だったともいえます。
とにかく将棋のプロは数十手先を読みますが、市場経済もいくつかの手を倍々ゲームで拡張していくように読み込む訓練は若い時代に身に着けておくべきだと思います。金融市場はその最先端にあります。

さてイントロが長くなりましたが、本来の株式投資はその会社の考え方や社会貢献度、将来性を総合判断して長期的視野にたち、その会社にほれ込んだり、魅力を感じるから資本参加するようなスタンスで臨むのが本筋かと思います。短期的スタンスは目先の利益が絶対条件になってしまい、投機的内容色の濃い要素が大きく入り込みますから日々のアップダウンに一喜一憂します。
企業が利益をあげることを第一義にしているかぎり、目先の損得に心がうごかされますから、本当に目指したかったり、目的を達成するための長期的視点に欠け、どんなに機会を増やそうが邪悪な心が残る限り、安い、得だと要素を判断の最優先要因にしてしまいがちです。
私たちは長い経験の中から、目先の利益にとらわれすぎると取り返しのつかないことになったり、軽はずみな失敗に帰結するケースが多いことを学んできました。
まさに『日計に足らずして歳計に余りあり』です。目先の利にとらわれることなく長い目で大局的な見地に立って利を考えるべきだという意味だと思います。
気の進まぬ仕事であっても、将来的に自分や会社のためになることであれば前向きにとりくんでいくことができると思います。

わたくしたちがDENKENで進めている人材育成は企業にとってまさに長期視点で取り組む最重要なテーマです。企業の未来は、入社から始まる社員の意識改革にかかっています。環境の変化へと順応性と学んだことを現場で実践する行動力、そして反復させる継続力が強化されれば組織の自立的循環サイクルがうまく回りだします。
社員一人ひとりが自己の成長、会社の発展のため、日々向学心を持って『考動』できることを標榜します。 目先のことに心がうばわれ、先がみえなくなったとき、この言葉を思い出して。


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